夜咄もっぱら創作小説取り扱い。2次もちょこっと。R15テキストには年若い方の閲覧を推奨できない表現がありますので、閲覧の際はご注意ください。まずは「はじめに」をご覧下さいますようお願い致します。 | |
34/昏い夏8あれは麻薬が言わせた言葉だ。それは結にもわかっている。 だが結には、あれが紛うことのない修一郎の本心だということもわかった。 修一郎はどのくらい眠っていただろうか。結は気にかけてたびたび寝間を覗いていたが、日が翳りだした頃、修一郎が目覚めているのに気づいた。 「旦那さま、お目覚めですか……? 具合はどうですか」 「うん。……大丈夫や」 修一郎は小声ながらはっきりと答えた。痛み止めが切れ始めたのか少し眉根を寄せてはいたが、久々に痛みから解放されぐっすりと眠ったおかげでか、その表情は大分にすっきりとしている。 「あの、少しでも何か召し上がりませんか? 冷たいものを用意しとるのですけど」 と結が訊ねると、これまでは不快そうに首を横に振るだけだったのが、「うん」と短く応えたので、結の表情もぱっと明るくなった。 「すぐにお持ちしますから」 そう言うと、結は病人を気遣い静かに立ち上がった。 匙の上でかすかに乳色を帯びたやわらかそうな塊が、涼しげに震えている。蕨餅に見えたそれを、結は慎重に仰臥したままの修一郎に含ませた。 冷たくなめらかな舌触り、ほのかな甘みに修一郎は少し微笑んだ。 「これはカタクリか」 「はい」 結はまたひと匙すくいながら頷いた。 「葛か蕨粉でもあったら良かったんですけど……片栗粉しかのうて」 「懐かしいな……子供の時分には、冬にはよう食べたもんやが」 「葛湯みたいにしてですか?」 うん、と修一郎は答え、 「そうか……夏に固めて冷やすと、こんな風になるんやな」 と言って笑った。修一郎がものを口にしてくれただけで結も嬉しく、ほっとした。 以前充三が供した蕨餅を機嫌良く食べていたのを思い出し、あるいはと修一郎が寝ている間に作ったのだ。大事にとって置いた砂糖も奢った。喉ごしを考えて白蜜にしてカタクリにかけたのだが、修一郎はそれも気に入ってくれたようだ。 「充三がどこぞでか蕨餅を貰うて来たことがあったな」 修一郎も同じことを思い出したらしく、ふとしたようにそう言ったが、結はそれを聞き、一瞬心臓をぎゅうっと掴まれたかのように感じた。思わず顔を伏せるようにして病人を盗み見たが、そこには別段の色もなく、結は何とはなしにほっとした。 多分修一郎は、寝入る前に自分が何を言ったのか、あるいは何かを言ったことさえ、覚えていないのだろう……そう思った。 「はい、うちも……思い出して、それで」 再び笑みを頬に浮かべ、結はそれのみを応えた。 その時玄関を開ける音がした。 「先生……あの、どないかされたのですか……?」 玄関先に城崎の姿を認め、結は不安げな声で訊ねた。城崎は常にない大きさの往診鞄を下げていた。 「ちょっとな……」 城崎にはめずらしく、曖昧に答えると 「修一郎くん、どうや?」 と、今や挨拶代わりとなった言葉を再び発した。 「あ、はい。痛み止めがよう効いて、さっきまで寝とってでした。あの、ちょっとですけどカタクリも口にされて……」 「そうか」 笑顔ながらどこかよそ事のような風情でそう答えると、城崎は 「この後客がある。何時(いつ)になるかはわからんが、若い男や。来たら寝間の方に通してくれ。何(なん)も聞かんでええからな」 と言い置き、寝間へと向かった。 「…………」 客がある、と言われたからという訳でもなかったが、結は三和土に下り、戸口から外を見た。急に辺りが翳りだしたのは、時刻のせいのみではなかったらしい。重たげな雲が空を覆い始めていた。 ついに暗雲から大粒の雨が降り出した頃である。勝手口を叩く者があった。 慌てて結は応対に立った。果たして客は若い男で、雨とはいえこの暑い夏に、長袖の黒っぽい合羽を羽織っていた。 「こちらは山岡さんのお宅ですか? 城崎先生が来ておられると思うのですが」 合羽を脱いだその男は年の頃は二十歳かそこら、声にも落ち着きがあり、髪は短く刈っていたが色白く極めて知的な風貌で、百姓や労務者の類でないことは一目で知れた。 「はい。──どうぞこちらに」 言われた通り、結は何も聞かず男を寝間へ案内した。 寝間には修一郎のものの他に、結のものではない布団が敷き伸べられてある。先に城崎に言われ、結が敷いた客用の寝具だ。吸呑と薬湯を満たした小ぶりの薬缶(やかん)も枕元に置いてあった。 「お待ちしてました。どうぞ」 城崎が座ったまま男を誘(いざな)った。 「結、もうええぞ。用があったら呼ぶから下がっとれ」 城崎は続けて言った。はい、と答え、去り際にちらりと傍らを伺うと、男のいささか緊張した面持ちが目に入った。 城崎が結に声をかけてきたのは、一時間半ほども過ぎた頃だったろうか。 城崎は男について、起きてくるまで寝かせておくように、それから余計なことは何も聞くなと繰り返し、雨の中を帰っていった。 男が結の前に顔を見せたのは、もう夜中であった。 「奥さん、すみません……すっかり寝入ってしまって──」 居間の障子の向こうで、いささかうろたえた声がした。 「あっ、すみません、お目覚めでしたか」 結も慌てて障子を開けた。 「今日はほんまにありがとうございました……あの、もしよかったら」 と、結は夜目にもわかる紙のように白い男の顔に言った。 「朝までお休みになって行かれませんか? 客間に夜具を用意しますから、それと何か、夜食も」 いえ……、と男は少し笑うと答えた。 「身内でもない者が、ご主人が床に伏せっておられるお宅に泊まるなど、とんでもないことです。遅うまでお邪魔し、その上お気遣いまでいただいて申し訳ありませんでした」 「……あの、これくらいしかでけんのですけど」 玄関へと男を案内した結は、雨具に袖を通そうとしている男に声をかけると、手に持っていた布袋を手渡そうとした。 「これ、持って行ってください……」 男は薄暗い玄関の明かりにすかすように結を見、それから結が手にした布袋を見た。口を紐で縛ったそれは大きさもそこそこあり、ずっしりと重そうである。 「奥さん」 男は結に、静かな声で言った。 「そういうお気遣いは無用です。供血は僕なりの思惑があってしたことや。ほんまのところ、自分のためにしたことで、ご主人を思うてのことではないですから」 「それでも──」 結はなおも続けた。 「そちら様のお考えがどうでも、うちらが助けて貰うたことに変わりはありません。どうか持って行って……精一杯の、うちらの気持ちなんです」 「…………」 それでも男はためらう素振りを見せたが、結は構わずその手に押しつけるようにして袋を持たせた。手触りから中身が米であることが知れる。男は困ったような表情になったが、そうまでされて素直に受け取った。 「すみません……ありがたくいただきます」 布袋を大事そうに脇に抱えるようにすると男は戸を開け、小さく頭を下げた。 「どうかご無事で……」 男は少し微笑んだようだった。出ていくと再び頭を下げ、静かに引き戸を閉めた。 徴兵逃れ……。 結にももう、あの若い男が試みようとしていることの見当がついていた。 多分学生なのだろう。元々学生は徴兵を猶予されていたが、先年からそれも次第に撤廃されていたのである。 徴兵逃れが良いのか悪いのか、それは結にはわからなかった。郷里では貧しく若い働き手が次々に戦に取られていたから、裕福に育ったであろう学生が優待されていることに不満がない訳ではなかったが、充三が戦地へと去った今、誰も戦では死んで欲しくない……というのが結の率直な思いであった。 ましてや修一郎のために供血に応じてくれた男である。真意がどうであれ、結にはただありがたかった。名も知らぬ、もう二度と会うこともなかろう男の無事を、結は手を合わせて祈った。 「第三回アルファポリス恋愛小説大賞」、昨日を以て終了しました。 応援いただいた皆様、どうもありがとうございました(^-^ 今後はまたスローペースの更新に戻るかと思いますが、お気を長くしておつきあいいただければ幸いです。 ←前へ 目次へ 次へ→ ランキングに参加しています. お気に召したら押してやってください InformationDate:2010/03/01
Comment03/20にコメントいただいたのんさんへこんばんわ、お礼が遅くなってすみません;
一気に読んでいただいたとのこと、どうもありがとうございました(*´∀`) 不定期連載の極みでなかなか進みませんが、気を長くしておつきあいいただければ幸いです。 これからもどうぞよろしくお願いいたしますv 2010/03/25 【管理人】 URL #cL3dLTro [編集] 10/04に拍手コメントいただいた鈴さんへこんにちわ、連載が事実上停止しているにも拘わらず、最新話までお読み下さり、ありがとうございましたv
戦の時代、今後はつらい展開が待っているかも知れません…… それでも「幸せに生きたい」という、祈りのようなものを描いていけたらなあと思っています。 他の方へのお礼でも「気を長くして」と書いてますが、さすがにそれにも限界があろうというもの……; 他の連載が一区切りついたので、そろそろこちらを再開したく考えています。 今後ともよろしくお願いいたします。 2010/10/05 【管理人】 URL #cL3dLTro [編集] 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/10/11 【】 # [編集] Re: その後・・・ああっ、ご心配おかけしてしまい、まことに申し訳ありません;
私は元気でおります。先日までちょっと他の作品の更新にかまけておりました; そちらが一段落ついたので、今後はまた「恋恋記」の更新を再開したいと思っております。 ただちょっと、ヤボ用が出来てしまって……更新再開は11月になる予定です。 それこそ病気でもしない限り、こちらはお約束できますので。 お心痛めさせてしまって、もう本当に、すみませんでした; どうかお見限りなく、今後も応援をよろしくお願いいたします。 2010/10/12 【管理人】 URL #- [編集] 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/10/12 【】 # [編集] コメントの投稿 | |
Information
Date:--/--/--